布嘉の壁がなぜか残っててみんな気づいてない話

歴史

布嘉といえば五所川原の豪商、佐々木嘉太郎の屋号であり、

布嘉御殿といえば、五所川原商人の栄華の象徴である大豪邸であります。

大火で消失したという悲しい事件があったのですが、それは先日紹介したのでそちらの本を読んでくださいね。

まず、布嘉というワードを知らない人が多いこと。

というよりも、知ってる人がむしろ少なくて、マニアだということ。

この時点で、こうしたドラマチックな五所川原の歴史は儚く朽ちていくのであろうと思います。

そんな布嘉御殿の赤レンガが何故か残っているって話を知ってたら、さらにマニアックで、郷土とか歴史とかなんかの研究者なの?ヲタクすぎてちょっとキモいよって感じです。

あー!立佞武多の館の受付の壁に埋まってるってやつでしょ!

そうです。んで、それが、壁ごと残ってらよ!って話。

今もひっそりと残っていました。

2014年06月13日 16時06分12秒 | 

こちらは、2014年と結構前の記事ですが、立佞武多の館のブログです。

中三デパートが取り壊されて現れたのですが、ブログ内では私有地のため遠くからの撮影になっております。

そして、2023年12月、中三デパート跡地はどうなっているかというと。

ツルハドラッグ五所川原本町店が立派にできております。

布嘉御殿の上に青森屈指の中三デパート本社が建ち、その上にドラッグストアが建つというのが、なんとも言えない世の流れを感じます。

そして、その左側に目をやると…!?

まるで、ツルハドラッグが特別企画で展示しているのではないかと疑うほど、きれいにフェンスがかかり、はっきり見えるようになっています。

二度の大火を耐え、様々な都市開発、道路整備事業、風雨や災害を乗り越え、未だに残る布嘉の壁。

中三デパートや民家でしばらく日の目を見ず、今こうして人目につくようになったのはなぜなのか。

不思議な魅力を感じます。

このまま朽ちていくのでしょうか。

市が歴史的観光資源として守るのでしょうか。

逆に放っておいたら成長して街を呑み込むようなエネルギーさえ感じます。

最後にこの写真。

一番お気に入りの一枚。

簡単には言葉で表せない、不気味なオーラを感じてなりません。

これが残り続けること自体、何かの因縁なのかと…

この記事を書いた人
こすめろ

春楡ノ櫂 会長。青森県五所川原市で生まれ、ねぷたを作ったり参加してる人です。五所川原高校立佞武多同好会OB(H23年度会長)で在学中に “堯舜の治∼諫鼓を叩く時∼”を制作しました。各種SNSはじめたのでフォローしてね。フォロバしてます!

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