当団体が発足当時から研究対象にしていた布嘉御殿。
五所川原市本町にかつて存在した大豪邸です。
2年前の投稿では、その豪邸の象徴でもある、赤レンガ塀の現在を紹介しました。
今回は、その話の続き。
そもそも布嘉御殿ってどれくらいの大きさなの?
これを紐解くために欠かせない場所があります。
五所川原市一ツ谷に建つ「布嘉屋」です。

外観は、格式のある湯治場にも感じられる佇まいですが、
布嘉御殿を後世に伝えるために建てられた立派な施設です。
そして、中には御殿を10分の1サイズで再現したミニチュアが展示されています。

ミニチュアとはいえ、横幅は8m、高さ・奥行きは2.5mに及ぶもので、
上の写真は、正面の一部に過ぎません。
では、いろいろな角度から見てみましょう。






ちなみに、この豪邸の建築を請け負ったのは、後に「斜陽館」も手掛けた堀江佐吉です。
醸造所のような高い赤レンガの塀で一帯を囲みながら、
近世城郭のような瓦屋根と白壁を持つ
まさに、「和洋折衷の傑作」です。
設計図は以下のとおりですが、ミニチュアでさえも、蛍光ペンで囲われた部分しか再現されていません。
つまり、本物はさらに奥に建物が連なっていたことになります。

では、建坪約九百坪(3000㎡)ともいわれる豪邸を、今の街に重ねてみましょう。
まずは、当時の地図を見てみます。

これは、編著:山谷笙介(1981)『ふるさとのあゆみ 五所川原』から引用したものですが、
赤で囲んだ部分が布嘉御殿です。
この記録をもとに、現在の地図を見てみましょう。

赤く塗りつぶした部分が、当時の敷地に相当する部分です。
ここは、現在の「本町歯科」や「ツルハドラッグ」駐車場、その他居酒屋や飲食店が入ります。
では、現在残されたレンガ塀の場所は、というと
敷地のおよそ中央部に収まっています。

一見すると、何も問題なさそうですが
ミニチュアや設計図を見る限り、該当しそうな塀は見られず、
加えて、塀の下を流れる水路も確認できません・・・
地図の誤差、設計図作成から建築に至る間の変更、ミニチュアの精度、筆者の勘違い
様々な原因は考えられますが、いずれにせよ、この塀が真実なのです。
さて、来たる11月29日は、布嘉御殿を焼失させた大火の発生後、82年の節目の日です。
この投稿を読んでくださった一人でも多くの方が、残された塀に足を運び、
五所川原の歴史に思いを馳せるひと時を過ごしていただけたらと思います。

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